月別アーカイブ: 2022年11月

神戸招待講座「甲野善紀先生に習う所作、作法、礼法」ご案内

「七十にして矩を踰えず(のりをこえず)」
『論語』の一節も、今は昔の話でしょうか。

たとえ偉人、達人から程遠くても、お仕着せのルールや道徳ではなく、自らの矩(のり)に恥じない生き方をしてみたい。
そんな皆さまに、朗報です。

この度の神戸招待講座では、身心の矩となる所作、作法、礼法について、甲野先生から習っていきます。

先生の何気ない所作から滲み出る、誠実さ、鋭さ、美しさ。
うっとり見惚れた人も少なくないはずです。

「いきなり武術を始めるのは、ちょっと…」という方も、甲野先生に習った所作、作法、礼法を、日々の暮らしに入れてみてはいかがでしょうか。
もちろん武術を稽古する方にとって、普通なかなか見せてもらえない今回のテーマは、学びの宝庫かと思います。

なお、ページ末に、甲野先生が39年前に書かれた文章「礼のこと」をご紹介します。
こちらを紹介できただけでも、私、今回は世話人の役目をほとんど果たせました。

【ご案内】
1.日時
2022年11月27日(日)
13:30~15:30 講座
15:30~16:00 書籍へのサインなど

2.会場
神戸市立 東灘区文化センター 和室
(JR神戸線 住吉駅 徒歩5分)

3.参加費
5,000円
(当日、会場にてお支払いください)

4.定員
18名

5.お申込み、お問合せ

だるま堂 中西まで
氏名、電話番号を明記の上、お申込みください

(電話)080-8716-4578
(メール)info@daruma7korobi8oki.com

6.これまでの神戸招待講座の様子↓
(2022年8月)https://daruma7korobi8oki.com/2022/08/20
(2022年5月)https://daruma7korobi8oki.com/2022/05/31

【甲野先生からのメッセージ】
39年前に書かれた小冊子『松聲』より

「礼のこと」

 礼は古来から武の基本と言われている。
 貨幣と共に、人間社会の重要な運転機能とも言える礼は、時代の流れの中でも、最も激しく、その表現を変化させてきた。
 現代、身分制度もなくなり、それに伴って法律的強制力を持って固定化していた習慣形式としての礼がなくなってきているだけに、この”礼”は、その運用にあたっては個人個人のセンスと力量に委ねられており、かえって昔より難しくなったとも言える。
 礼を、太刀を交えぬ立合とみて、武術そのものとして捉えると、動作、言葉遣い、雰囲気等のすべてが、その人間が、その時、その場所に於ける「在り方」にと”凝縮された”その人の力量そのものが、技となると言えよう。
 丁寧な言葉、切りっ放しの言葉、念の入った挨拶、ただの会釈、それらがその時々によって自由に出、しかもそれによって相手がどの様な態度(怒り、賞賛、軽蔑など)に出ても、他人がどう言おうとも、それによって自己の心身の重心の位置を自分の納得のいく位置に置きつづけることが出来るとしたら、その人は変化流動して定めようのない礼の表現の世界から一歩奥に入った人間共通の応対の原理を把んだのであり、それはそのまま”武術に於ける応対”へとつながっている。
 武術は本来礼の形式を叩き込むのではなく、各自の感性を育てて、その上でその育った感覚をその時々で端的に顕わす形を示すのであって、強制や嚇しによって教えるものではなかろう。その時、その場に於ける自らのふるまいに不自然さが少しもなく必然性すら感じさせるのが礼の原点であり究極でもあろう。
 爽やかな心情を育てて、それをその場に応じた自然な心くばりのもとに顕わせば、何よりのもてなし、何よりの礼だろう。
 ただ、省略した簡潔な礼ほどそれを支えるには十分に確かな力量が必要であり、それは、武術に於いて簡単な動きで済む技ほど派手な大技より余程精妙な感覚が身につかねば出来ないことと同じである。

 人と人との間に直にかかわる礼は不可欠であるが、同時に虚偽を覆う衣装ともなる。
 又、人と人との極限の応対状態そのものを扱う武術も、ひとつ誤まれば単なる殺人の技術となる。
 古人は謂う『礼ハ道ノ華ニシテ乱ノ首(ハジメ)也』と、又曰、『兵ハ不祥ノ器』と。
 礼も武もその運用のさせ方の真の把握は、これから先の人間社会に於いても、永遠の課題となるであろう。