月別アーカイブ: 2019年2月

お薦めの本『身体は「わたし」を映す間鏡である』

P_20190119_123400.jpg

『身体は「わたし」を映す間鏡である なぜ人は「あたりまえに動ける」のか?』(甲野陽紀著,和器出版,2018)

何気なく手に取った一冊。…のはずが、この本を読んでから一か月間、毎日の生活のいろどりと味わいが、一変しました。

たとえばある日、自宅でパソコン作業をしていると、娘(6歳)が僕を遊びに誘いました。
いつものとおり、「ちょっと待ってー」と返事をしてから、ふと自分の居心地の悪さに気づきました。
何となく、納まりのつかない、ソワソワした感じ…。

そして、その居心地悪さは、僕の注意がパソコン作業の方へ向いたまま、一応、娘の方へ返事だけしたことに端を発していると、気づいたのです。
あるいは、娘の方へ注意が逸れたまま、パソコン作業を続けたせい、と言えるかもしれません。

試しに、もう一度娘の方へ向き、いま自分がしている用件と、何時頃一緒に遊べるかを伝えて、作業に戻りました。
結果として、先程のソワソワはなくなり、作業を捗らせた後、娘と楽しく遊べました(娘がどう思ったのかは知りませんが)。

またある時、遅めの夕飯を一人でとっていると、手は箸を動かし、口は食べものを咀嚼しながら、目は手元のスマホの画面を追っている…。
そんなことに、近頃、あまり居心地悪さを感じていなかったと、ふと気づきました。

試しに、スマホを別の部屋に置き、食べることに注意を向けてみると、料理の匂い、味わい、後味はもちろん、箸先に感じる食べものの重み軽みまで、新鮮に感じるのでした。
食べた後のお腹の納まりも、よい気がします。

毎日の何気ない「居心地悪さ」に気づき、あれこれ試した結果、「納まりのよさ」を感じる―。
この本の著者、甲野陽紀氏(身体技法研究者)が提案する、「一動作一注意」という観点のおかげで、日々の自分の「あたりまえ」が、とても新鮮に思えてきました。
おもしろいのは、道徳や気の持ちようではなく、身体を通じた(有無を言わさぬ)変化なので、頭での理解とはまた違う、独特の納得感があるところです。

この本について、もう少し詳しくお話しますと。
前半の章では、「注意の向け方」と「身体」の関係の深さについて、著者考案の実験がいくつか紹介されています。

たとえば、「立ち姿勢」や「歩き」といった、私たちが普段、あたりまえにしている身体の動き。
その安定性が、「どこに注意を向けるか」一つで、ガラリと違ってしまうのです。
(それも、動いている本人の実感とは関係なく。)

これらの章では、実験の手順もわかりやすく紹介されており、本を読んでいるというよりも、著者の講座を生身で受けているように展開していきます。
本人のがんばりや実感とは関係なく、動きが楽になるので、呆気なさに笑ってしまうかもしれません。
そこから、自分の興味や専門分野に引き寄せて考え始めてもよいでしょう。また家族や仲間どうし、ちょっとした遊び感覚で試しても、十分おもしろいと思います。

そして、これらの実験を通じて著者が伝えていることの一つが、「一動作一注意」という観点です。

たとえば、動物や子どもの動きには無駄が少なく、ヒトの健康や、身体で何かを表現する分野に関わる人々にとって、興味の尽きない対象です。
その、「動物や子どもはどうしてあんなに純粋な動きができるのか?」という問いに対して、著者は次のように答えています。

「動物は生きるために動く。そのテーマは決して崩れることはない。食べる、逃げる、あるいは襲う。すべての動きは生きるためです。そこはぶれない。
そのぶれなさを、動作と注意という観点でみたとき―(中略)ぶれない目的があるのでおのずと注意は一つに向かっている、とみえます。」(P.59)

「子どもも同じです。ただ遊びたいから遊ぶ、身体を動かす。なぜかというと、それが楽しいからです。周りから見たら子どもは興味のあることだけをしているともいえます。
興味のあることだから注意が散らない。興味のあることをしているときの子どもの注意は、つねに一つに向かっている―。」(P.60 )

そしてヒトの大人でも同様、動く目的(動物の場合の食べる、子どもの場合の遊ぶなどのように)を明確にし、「一動作一注意」が成り立つと、
結果として仕事や対人関係の場で混乱していたことに見通しがついて、うまく流れるようになることもあるのでは、と提案しています。

冒頭に卑近な例をご紹介したとおり、これは特別な人の特別な動きについての話ではなく、誰にとってもあたりまえの動きにヒントが内包されているので、すべての人にとって面白い観点だと思います。

後半の章では、タイトルに「間鏡」(魔境にちなんだ造語)とあるとおり、「間(ま)」についての実験・考察が展開されます。

たとえば、「自分が動く」「相手を動かす」の二択で状況が硬直してしまった時、「間(ま)を動かす」という三択目があると、状況が緩み、関わる人が納得できる可能性があるのでは、と提案されています。
このことも「一動作一注意」と同様、わかりやすい実験を用いて、身体を通じて知っていけるのが、他に類をみないおもしろさです。

いったん、世界に「間(ま)」を見出せるようになると、身の回りのあらゆるところに見えてくるといいます。

することが多過ぎて、頭の中が忙しい―。
硬直した状況に、イライラを感じる―。
便利な生活の一方、こんなことが発端で、身体の不調が生じる方が多いのも、現代の特徴かと思います。

そんな生活において、ヒトが生まれ持っている「あたりまえ」の動きの、すごさ、おもしろさ、ありがたさに気づくこと。
このことは、身体や状況と折り合っていくための、大切なきっかけになるのではないでしょうか。

カルテ整理の時間

おかげさまで、開業から4ヵ月。
お越しくださった患者さんの分だけ、カルテも増えてきたので、一旦すべての患者さんについて整理しました。
カルテを見ながら、「関わる目的、現状、今後の見通し」を(自分で自分に)喋ってみる、というものです。

この作業は、勤務か開業かに関わらず必要ですし、複数で働いている方が「検討会」は開きやすく、より客観性が担保されるのかもしれません。
けれど僕としては、開業し一人職場になってみて、この作業がずいぶん捗るようになりました。
こちらが一人だと、介在する条件が少ないぶん、トライアル&エラーを展開しやすいのかな、なんて想像しています。
あるいは、ただのわがままな気質によるものかもしれません。

トライアル&エラーを展開しやすくなったのは、マニュアル・メディスンの原理を学んでいる影響も大きいです。

筋骨格系、それに付随する血管、リンパ、神経という、多くの要素と相互の関係性を、それぞれ特殊な検査で捉えていくのは、とても大変です。
その点、マニュアル・メディスンでは、四肢長・アライメント評価、可動性検査、触診(組織の質感)、筋力検査などの、「ごく普通の」評価・検査が主です。
これだと、「頭の中が忙しくなりすぎず」、とてもありがたいのです。

さらに、それぞれの結果を相互補完的に解釈すると、一人の患者さんについて、結果・経過を計るための指標が見出しやすいです。
その指標と、患者さんの状態を、思い込みなく追っていくと、少なくとも見当外れのことはしなくて済みます(見当外れになっていれば気づけます)。
そんなわけでカルテには、必要なかぎりの検査結果と指標、自分のしたこと、を記載しています。

(謙遜でもなく)たいした事ができないので、このカルテ整理の時間は続けていきます。

まるだっこの会2月 ご案内

「転んでも只では起きない」体をはぐくむ、まるだっこ。

たとえば、

道具を使う以前の、だっことおんぶのコツ
一枚の布や、昔ながらのへこおびを使った、だっことおんぶ
お手持ちのだっこ紐の調整、アドバイス

など、ご希望や現状に合わせて進めていきます。

担当:中西衣理(保健師、ベビーウェアリングコンシェルジュ)

だっことおんぶの経験を通じて、

ご自分の体の快不快
子どもへの愛おしさ
子どもの体のたくましさ

などが、立ち上がってきますよ。

親子はもちろん、保育・看護・介護に関わる方々、
災害時の救助への応用にご興味のある方にも
お越しいただいている講座です。

日時・参加費等は、添付の写真をご参照ください。

お問い合わせ・ご予約は、
「整体だるま堂 住吉」ホームページ内のお問い合わせフォーム
または、info★daruma7korobi8oki.com(←★を@に変えて)まで。

どうぞよろしくお願いいたします。