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「触れて、みる」第3回 ご報告

第3回のテーマは「繋がりに、触れる」。

ここでの「繋がり」は一旦、自分の「構造なりの端から端まで」としました。触れてどうこうする以前に、自分の「構造なりの端から端まで」を知り、動いてみる。

そうすると、触れた相手に生じる結果が、驚くほど変わります。という事を、感覚受容器の特性という切り口で、お伝えしました。

感覚には、どうしたって慣れが混ざるので、当てになりません。それでも、生きて学ぶ上では、感覚が欠かせません。

とても悩ましいところですが、その折り合いをつけるためには、何を規範として感覚を養っていくのか、が大切になりそうです。

その規範はおそらく、身の構造、そして他者、という事になるのだと、考えています。

せっかく「相手に触れて、何か良い変化をもたらそう」と盛り上がっている時に、「まずは自分を問い直してみましょう」と言うのは、肩透かしのような、意地悪のような感じもしますが、試みる価値があります。

身体は迷いを嫌うので、迷いのある人が触れると、案外、簡単に壊れていく。反対に、(意識ではなく)身体に迷いのない人に触れてもらうと、自ずと丁度よくなる。

そういう切り口があると、世界がより面白く観えてくる。かもしれません。

お薦めの一冊 『さよなら、男社会』

『さよなら、男社会』(尹雄大、亜紀書房、2020)

今、読めてよかった。
タイトルから思い浮かぶ「男性批判」の文脈は、一切ありません。
むしろ、この本を読めば救われる「男性」(女性の内にいる「男性」含めて)が多いのでは、と思います。
感想を少し。

社会について論じるならば、社会の基となる、個々の身体の探求から初めざるを得ない。
尹雄大さんの著作から、私は毎回このメッセージを受け取り、救われます。

そうして、自他の身体を省みた時に、「ありえたかもしれない」理想や、「そうであって欲しい」願望を押し付けることが、身体にとって、いかに無益(でありながら、いかに執拗に繰り返される態度)かを、日々思い知ります。

さりとて、これは「希望を持つな」という話では、決してありません。
誰の物かも分からない理想や願望に、きちんと「さよなら」することで、他ならぬ自らの希望が、明晰に立ち現れる。
そんな慈しみに満ちた話かと思いました。

自分の内なる曖昧模糊とした葛藤に、きちんと「さよなら」したい。
そう思う男女の手に、届いてほしい一冊です。

「触れて、みる」第3回 ご案内

TC Academyで担当させて頂く講習会です。

http://tcacademy.jp/blog-category-21.html

限られた接点から、いかに広範囲の情報を、的確に受け取るか。 また、その接点を通じて、いかに全体へ作用を及ぼすか。

このような「繋がり」を、触れ方の上手な先生方は、当たり前に踏まえていらっしゃいます。 ただ残念ながら、当たり前のことって、なかなか言語化されません。 そこで、私みたいに不器用な者が学ぶためには、あれこれ工夫が必要です。

今回の講座では、その工夫の幾つかを紹介いたします。