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≪甲野善紀先生 神戸招待講座≫ ご報告

参加者からの問いを元に、「身体が落ち着きを取り戻す勘所」や「身体の居着いた所に動きを見出す方法」などが即興詩のように広がる、甲野先生ならではの時間でした。

また、身体教育研究所 野口裕之先生の「○○は母の記憶」(○○の所は参加者の特権で…)という言葉や、先人の知恵の数々が引用されたように、私達の身体は一代限りで此処に在るのではなく、縦糸の勁(つよ)さの中で存在していることに、思いを馳せる時間にもなりました。

ご参加の皆さまが、自分の置かれた状況や、身に起きている痛みを元に、それらが自分に知らせてくれることを、甲野先生に映し出して頂きながら見ている姿、印象深かったです。

既にまた次回を楽しみにする声が上がっているので、お忙しい甲野先生も神戸に足を運んでくださると思います。
甲野先生、ご参加の皆さま、お力添えくださった皆さま、今回は本当にありがとうございました。

「”膜”と響きの話」第3回

前回のまとめ

・体の”膜”は本来、一点からの微かな入力も全体に響かせます。

・発汗や消化、循環、呼吸など、生命の根本にあたる現象は、自覚されることなく、意識的に操作する必要もなく、体が自ずと担ってくれます(生体の自律性)。

・体は常に揺らぎながらも、凡そ「いつもの」範囲にまとまろうとします(生体の恒常性)。

・体が自律的に、恒常性を発揮する。その営みなくして、私たちは生まれることも、生きて行くことも、命を終うことも出来ません。

■波打つ海

恒常性という、生体の圧倒的な営みを前にして、私たちはどのように振る舞えばよいのでしょうか。
今回はその辺りに触れていきます。

恒常性ゆえに、体は常に揺らぎつつ、凡そ「いつもの」範囲にまとまろうとするのでした。
この揺らぎは、海が波打つ姿を思い描くと、わかりやすいです。

海の様子をつぶさに見れば、一つとして「同じ」波は無く、「いつもの」波もありません。
けれど少し視野を広げると、凡そ「いつもの」幅で、「いつもの」方向へ波打つ様子が見えてきます。

そのように波打っているおかげで、海中では様々な生き物が混ざり合い、時に「食う食われる」の循環も促される。
結果として、人に海の幸がもたらされます。
また、もしその幅と方向に習熟すれば、波に乗って目的地へ運んでもらうことも出来るでしょう。

一方で、海がバランスを取り直す時期が来れば、波は大きく揺らぎ、うねります。
どうしようもなく、必然的に起きることですが、人にとって厳しさ、辛さを伴います。

■揺らぐ体

ここで、常に揺らいでいる私たちの体を、波打つ海の姿になぞらえてみます。
体もつぶさに見れば、人生の初めから終いまで、ただの一度も「同じ」ではなく、常に揺らいでいます。
そして、その揺らぎは野放図ではなく、凡そ「いつもの」幅と方向を保っている。
結果として、例えば治癒力や免疫といった恩恵が、人にもたらされます。

しかし、一度バランスの取り直しが必要になれば、体は大きく揺らぎ、うねります。
その過程は時に厳しく、辛い症状を伴うかもしれません。

こうして観ると、体が私たちにもたらす恩恵と厳しさは、本来、別々の現象ではないようです。

体の揺らぎが、「いつもの」幅と方向で、凪いでいる時。
あるいは、体の揺らぎが「いつもの」幅と方向を取り直そうとして、うねっている時。
この凪とうねりの間に、線引きは出来そうにありません。
ただグラデーションが観えてくるだけのことです。

■人に許された振る舞い

さて、それでは。
揺らぎと恒常性という、生体の営みを前にして、私たちにどんな振る舞いが許されるのでしょうか。

次のようなことは、出来そうです。
揺らぎの幅と方向をよく観て、その背後にある法則性に習い、上手な乗り方を学んでいく。
もし、自然なリズムを自らの手で邪魔しているなら、それを止めてみる。
それでも波が大きくうねる時は、おとなしく遣り過ごす。

おそらく、どんな先端医療もせいぜい、これらの振る舞いを手伝うだけ。
それを超える技術は、未だ現れていないようです。

■揺らぎを観せてくれるのは…

年齢や身体能力を問わず、誰もが今この時、自らの体の揺らぎを体験しています。
生きているかぎり、それは間違いありません。

ただし、揺らぎをちゃんと経験し、よく観ているかと問われたら。
そして、その背後にある法則性に上手く乗れているかと聞かれたら。
何だか心許ないような気がします(はい、私もその一人です)。

そこで、ある文化の人々は、体の揺らぎを観る手立てを講じてきました。
その一つが、”膜(fascia)”に尋ねることです。

“膜”によって、体の内外が隔てられ、体内に幾つもの空間が生まれます。
その空間が広がったり、まとまったりする様子から、揺らぎの幅を観てとれます。
また、“膜”は収縮しやすい方向をもつので、その様子から、揺らぎの方向性も観てとれます。

このように”膜”に尋ねると、体の揺らぎの幅と方向性が観えてきます。
だとすれば、その背後にある法則性も、少しずつ汲み取れそうな気がしませんか。

さて、今回はここまで。
お読みくださり、ありがとうございました。

「”膜”と響きの話」第2回

前回のまとめ

・”fascia”や”膜”と呼ばれる器官は、人体において、ひと繋がりです。

・”膜”の特性は、感覚と運動の両面で表れます。すなわち、固有感覚のセンサーに富み、かつ収縮性に富んでいる。それゆえ、「感覚 ⇄ 運動」の輪において重要な役を演じます。

・”膜”がやり取りする感覚のうち、自覚できるのは氷山の一角。水面下の大部分は無自覚です。また、ほぼ”膜”のテンションだけで成り立つ、意識に依らない運動も多くみられます。

・つまり無自覚、無意識な層で、体内の”膜”は常に変化し、かつ変化に応じています。

■響く体の自律性

程よく張られた鼓のように、”膜”は本来、一点からの微かな入力も全体に響かせます。
入力に応じて、全体が響く。
調律が行き届いた楽器を思い浮かべてもらうといいでしょう。

そのような状態にある時、体は自律的に、必要な働きを担ってくれます。
自律的な働きとは、例えば、気温に合わせて汗をかく、動きに応じて脈や呼吸のリズムが変わる、食べたものを消化する、などなど。
これら生命の基礎、根本をなす現象のほとんどは、自覚されることなく、意識的に操作する必要もなく、体が自ずと担ってくれています。

こうして見るにつけ、どうやら体の自律性は、私たちが生命を全うする為に欠かせない性質のようです。

■響く体の恒常性

ただし、仮に体が自律的に働いても、その行き先が定まっていなければ、あまり意味を成しません。
例えば、技量とチームワークに長けた乗組員が揃っていても、そもそも船の目的地がなければ、漕ぎ進められませんよね。
そこで、体は常に揺らぎながらも「凡そ、この範囲にまとまっておこう」という行き先を保っています。

このような性質は、恒常性(homeostasis)と呼ばれます。

恒常性のおかげで、私たちは暑ければ汗をかき、傷つけば菌とせめぎ合いながら傷口をふさぎ、食物や異物を吸収(あるいは排泄)して糧とする。
日々そのように生きて行きます。
そして、いつかその営みを終えて、体のまとまりを解く。
これらは全て、恒常性の現れです。

体が自律的に、恒常性を発揮している状態。
それは、「(自我や意識でなく)体が体のことを、よく分かっている状態」とも言えます。
たとえ外から何を施しても、この働き無くして、体が成り立つことはないでしょう。

■恒常性という奇跡

ひょっとすると私たちは、たった今、自らの裡で起きている奇跡に目もくれず、遠くの誰かが起こす奇跡に期待しているのかもしれません。
そう思えてくる程、一人一人に備わる恒常性は、恵み深いものです。

例えば、母の胎内に宿ってから今に至るまで、私の細胞は一つとして、同じままではありません。
全ての細胞が毀れ、入れ替わったにもかかわらず、私は私として、まとまり続けている。
この現象も、恒常性の為せるわざです。

また、体内に病み衰えた細胞が溜まる頃には、熱を上げて余分な細胞を燃やし、食い尽くし、新たな細胞が生まれる余地をつくる。
そして細胞が入れ替わった暁には、速やかに熱が下がり、凡そいつもの範囲に収まる。
これも、恒常性の現れと言えましょう。
その営みの巧妙さには、目を見張ります。

とはいえ、どれほど巧妙な働きがあっても、それを生かさなければ宝の持ち腐れ。
先ほどの例で言えば、もし発熱を忌み嫌い、薬でさっさと下げてしまうなら、「奇跡」の出る幕はありません。
それは「体が体のことを、よく知って行く」チャンスを、自ら閉ざす振る舞いなのかもしれませんね。

さて、今回はここまで。
恒常性という営みを前にして、私たちはどのように振る舞うことができるのか。次回はその辺りに触れていきます。
お読みくださり、ありがとうございました。

「”膜”と響きの話」第1回

■全身を繋ぐ器官

人体に張り巡らされており、ある文化では”fascia”、”膜”と呼ばれる器官の話。

“膜”の例として、横隔”膜”がよく知られています。
このような”膜”は、人が理解しやすいように、便宜上分けて名前が付いている箇所もあります。
けれど実際には、途切れることなく体を覆い、また、体の深部を貫いています。
頭のてっぺんから、手の指先、足のつま先まで、ひと繋がりの器官です。

■”膜”の特性

ひと繋がりの”膜”。
その特性は何でしょうか。

一つは、自分の体が「どこで何をしているか」について感知する(固有感覚の)センサーに富んでいること。
もう一つは、収縮性、弾発性に富んでいること。
これらの特性ゆえ、人の生命活動に欠かせない「感覚 ⇄ 運動」の輪において、主役級の役を演じます。

「感覚 ⇄ 運動」の輪とは、耳慣れない表現かもしれませんね。
たとえば、水の入ったコップを取ろうとする場面を思い浮かべてみましょう。
一旦コップへ向けて手が伸び始めたら、コップの重さや大きさ、距離に応じて、体が自ずと変化し続けます。
この間、”膜”は”全身が「どこで、どんな形をとっているか」感知し続け、その情報をもとに、丁度よいテンションで体の形を変えていきます。
こうして見ると、人体が動いている時、感覚と運動はどちらが先とも言えず、輪がぐるぐると循環するように働いているようです。

■”膜”における自覚/無自覚、意識/無意識

そして実は、この”膜”がやり取りしている感覚のうち、私達が気付けているのは、ほんのわずか。氷山の一角みたいなもの。
むしろ無自覚な水面下で、体内を巡っている情報がほとんどで、それらは自律的に処理されています。
コップを取ろうとする時も、毎瞬、自分の形を自覚している訳ではありませんね。

また、この“膜”が表現する運動は、意識的な動きに限りません。
歩く、跳ぶ、息をするなど、バネやボールが弾むのに似て、意識せず成り立つ動きもあります。

“膜”によって自ずと成り立つ運動は、他にもあります。
私達は重力や気圧のもと生きているので、それらの圧に応じて”膜”は自由にテンションを変え、バランスを保っています。
ここで、もし”膜”が自由に変化できないと、何が起きるでしょうか。
「天気痛」なんて言葉を、耳にしたことがあるかもしれません。
天候・季節などに伴い外界の圧が変化した時、体の”膜”に張り過ぎ、または緩み過ぎがあると、痛みや眩みが生じることもあります。

運動面で言えば他にも、血液・リンパ液を「運」ぶとか、ある方向へ心が「動」くことにも、この”膜”が関わります。
このような無自覚、無意識の範囲まで、”膜”の働きを見て取れる。

こうして見てくると、感覚にせよ運動にせよ、私達の与り知らない水面下で、沢山のやり取りがなされているんですね。
そのやり取りの多くは気づかれないまま、まるで泡のように浮かんでは消え、浮かんでは消えしています。
今のところ、「へぇそうなんだ」くらいに留めておいてください。

第1回はここまで。お読みくださり、ありがとうございました。

人生七転び八起き

人生七転び八起き、生きてりゃ病も怪我もある。
病も怪我も、よく噛んで飲み込めば、ちゃんと腹の足しになる。

これは信念や希望の類ではなく、人に触れてみた観察結果です。
朝顔の観察日記みたいなもの。

放っときゃ美しく咲くわけではなく、下手に触っても枯らしてしまう。
じゃあ、より明らかに観ること、そして観ている自分の癖を知ることから、始めてみてはどうでしょうか。

ほとんどの事が、水面下で起きては消え、起きては消える。それならやはり、水面下を観じていきたいものです。
これは、観察結果から導かれる希望の話。

縄文流 アート&ブッシュクラフト ワークショップ ご報告

神戸での一日目は、火起こし、焚き火とナイフの基本でした。 今では「百科事典」と訳される、”Encyclopedia”。 かつて西周は、”cyclo”を尊重し「百學連環」と訳しました。 関根先生からの学びも、まさしく「連環」していきます。

植生の観察、素材選び、発火具作り、火起こし技術、焚き火での調理法、道具を作る刃物の扱い、刃物の研ぎ・見立て… 一口に焚き火と言っても、数々の知と技と、節度が含まれます。そして、それらは環をなし連なっている。 自ら手足を動かすうち、その連環が見えてくる、あっという間の一日でした。

神戸での二日目。木のスプーンを作る 本当に使いやすい道具のデザインとは? 秋岡芳夫氏にデザインを学んだ当時、手が不器用だった関根先生。 ところが、あまりに楽しんで物を作る秋岡氏を見るうち、居ても立ってもいられず、

「僕にも作れますかね?」 と尋ねました。 すると、秋岡氏は答えます。 「○○○○○○いいじゃない」 この言葉がきっかけで、大学時代の夏休み、スプーンを削り始めたそうです。

今回ご参加の方から、 「お話をお聴きするのも、スプーンを作るのも、作ったものを使うのも、どれも格別に楽しくて、作ったスプーンを見るだけで、その気持ちがよみがえります。」 と感想を頂きました。 これも、自ら手を動かしたからこその、味わいですね。

天気、空間、人に恵まれ、かけがえのない二日間となりました。 また関根先生の元に集える日を、今から心待ちにしています。

「触れて、みる」第8回 ご案内

2ヶ月に一度、東京のTC Academyで担当している講座、「触れて、みる」。

知ってるつもりで、意外と知らない、自分の身体。

「触れる」ことを上手く活かせば、映し鏡のように、身体への理解が深まっていきます。

詳しいご案内・申し込みは、こちら

第8回は、以下のようなテーマで進めていきます。

「もっと肩の力を抜いて!」

初めてのことを習う時、あるいは緊張する場面で、
「肩の力を抜いて」と言われた経験、ありませんか。

さて、では肩の力って、どうすれば抜けるのでしょう。
肩を揺する、深呼吸する、集中、瞑想、リラックス、…?

もし、これらの方法でうまくいかないとしたら、
一旦、肩の構造と働きに立ち戻ってみると良さそうです。

今回の『触れて、みる』では、
生後4~6ヶ月頃の赤ちゃんの姿を見習います。

寝返りなどの動きが、どこから生まれるか。
その時、赤ちゃんは地面や外界に、どう触れているのか。

実際に動いて、触れてみることで、
自分なりの肩の構造・働きを知っていきましょう。
知れば知るほど、余分な力は自ずと薄れていきますよ。

≪関根秀樹の 縄文流アート&ブッシュクラフト ワークショップ≫ 2021秋 ご案内

10/30(土)-31(日)、神戸にて。
古代の文化・生活技術を楽しく学び、デザインを観る目・道具の扱いまで磨く、珠玉の二日間。

Day2:木のスプーンを作る 本当に使いやすい道具のデザインとは?

Day1:火起こし、焚き火とナイフの基本

◆内容
・本やネットで評判の有名デザイナーのスプーンは本当に使いやすいのか?
・市販のスプーンの何が、どう問題なのか?どうしたら本当に使いやすい道具ができるのか?
・硬く緻密で木目の美しい木を削り、磨いて、アイスクリームやヨーグルト、チーズケーキなどがおいしく食べられる、世界でたった一つのシンプルなデザインの手作りスプーンを作ります。

◆日時
10/31(日) 10:30~15:30(昼休憩1時間)

◆会場
神戸市立東灘区文化センター 陶工芸室 https://www.kobe-bunka.jp/facilities/higashinada/higashinada-detail/#14
(〒658-0052 神戸市東灘区住吉東町5丁目1-16)

※交通アクセス https://www.kobe-bunka.jp/facilities/higashinada/

◆参加費(材料費、道具レンタル込み)
18歳~ :8,000円
小学生~:4,000円
未就学児:無料

家族割引:ご家族で参加の場合、お一人500円引き
二日連続受講割引:お一人500円引き
(家族割引と連続受講割引は、併用OK)

◆定員
15名

◆お申込み 締切:10/24(日)
だるま堂 中西眞宛て。タイトルを「10/31 スプーン」として、参加者のお名前と年齢をお知らせください。
info@daruma7korobi8oki.com
08087164578

◆関根秀樹先生って、どんな人?(会ってみなくちゃ分かりません)
福島県生まれ。文系・理系・芸術系・身体系の多分野を気ままに往還するフリーの研究者&ライター。非常勤講師として和光大学では「火の人間史」と「音響人類学」、桑沢デザイン研究所では「手で考える道具と技術」、多摩美術大学では「絵具実習」を担当し、各地で多彩なワークショップを展開。『焚き火大全』『新版 民族楽器をつくる』『縄文人になる!』『刃物大全』『宮沢賢治キーワード図鑑』ほか数十冊の著書がある。「火起こし世界チャンピオン」「ぴよぴよヌンチャク奏者」などユニークな特技でも知られ、「タモリ倶楽部」や「スコラ坂本龍一音楽の学校」などにも出演している。

古代から未来へ。原始の火がつなぐもの。
http://morinooto.jp/2017/07/12/hiokoshisekine/

縄文生活を再現する
https://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000000128_all.html

原始の焚き火を楽しむ「火おこし道具」を自作してみよう!
https://www.bepal.net/know-how/campfire/111541

≪関根秀樹の 縄文流アート&ブッシュクラフト ワークショップ≫ 2021秋 ご案内

Day1:火起こし、焚き火とナイフの基本

Day2:木のスプーンを作る 本当に使いやすい道具のデザインとは?)

◆内容
・古代の火起こしの道具の仕組みと実際のコツ。火口(ほくち)と焚き付け、削り花(フェザースティック)作り。
・気候や植生の違いによる翻訳ブッシュクラフト技術の問題点。
・工作やアウトドアでのナイフの選び方、使い方、研ぎ方。流行のブッシュクラフトナイフの問題点、改良法など。

◆日時
10/30(土) 10:30~15:30

◆会場
しあわせの村 テントキャンプ場 http://www.shiawasenomura.org/stay/tent.html
(〒651-1106 神戸市北区しあわせの村1番1号)

※交通アクセス http://www.shiawasenomura.org/access/

◆参加費(材料費、道具レンタル込み)
18歳~ :8,000円
小学生~:4,000円
未就学児:無料

家族割引:ご家族で参加の場合、お一人500円引き
二日連続受講割引:お一人500円引き
(家族割引と連続受講割引は、併用OK)

◆定員
15名

◆お申込み  締切:10/24(日)
だるま堂 中西眞宛て。タイトルを「10/30 焚き火」として、参加者のお名前と年齢をお知らせください。
info@daruma7korobi8oki.com
08087164578

◆関根秀樹先生って、どんな人?(会ってみなくちゃ分かりません)
福島県生まれ。文系・理系・芸術系・身体系の多分野を気ままに往還するフリーの研究者&ライター。非常勤講師として和光大学では「火の人間史」と「音響人類学」、桑沢デザイン研究所では「手で考える道具と技術」、多摩美術大学では「絵具実習」を担当し、各地で多彩なワークショップを展開。『焚き火大全』『新版 民族楽器をつくる』『縄文人になる!』『刃物大全』『宮沢賢治キーワード図鑑』ほか数十冊の著書がある。「火起こし世界チャンピオン」「ぴよぴよヌンチャク奏者」などユニークな特技でも知られ、「タモリ倶楽部」や「スコラ坂本龍一音楽の学校」などにも出演している。

古代から未来へ。原始の火がつなぐもの。
http://morinooto.jp/2017/07/12/hiokoshisekine/

縄文生活を再現する
https://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000000128_all.html

原始の焚き火を楽しむ「火おこし道具」を自作してみよう!
https://www.bepal.net/know-how/campfire/111541

梅っ子助産所 7月ご報告

今回も塩田さんに笑わせてもらいました。
お子さまの初めてのパチパチの拍手を一緒に見ることも出来て、
心穏やかな時間でした!

お一人は、エルゴをお持ちの方。
ひとつひとつ一緒に確認して、装着していきました。
何度か練習するごとに、赤ちゃんの位置が変わったことを
感じていらっしゃいました。
旦那さまとの共有も考え、
スリングの練習も何度かされました。
それぞれの良さがあると思うので、
楽しんで抱っこやおんぶをしていただければなあと思います。

ディディタイとsun&beachの抱っこひもをお持ちの方とは、
抱っこの位置や引き締めの方法を確かめました。
ディディタイの布の広げ方、おんぶの方法などをお伝えしました。

講座後、アレっておもうことや、
やり方を忘れてしまうことがあれば、
聞いてくださいね♪