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お薦めの一冊『駒井式 やさしい韓氏意拳入門』

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一冊の本を読んだ後、知見が増えたり、価値観が変わったり、新たな感情の引き出しができたり…。
そういう経験は多々あります。
けれど、一冊の本を読んだ後、練習したくてしたくて堪らなくなる。その日のうちに日課が変わる。
という経験は、なかなかできるものではありません。

そんな一冊が、『駒井式 やさしい韓氏意拳入門』(日貿出版社,2019)です。

僕の場合、とりあえず家にあった「自分なりに重い物」を抱えて歩くこと、なわ跳びを跳んでみることから始めました。
あとはロープ一本を使って、引いたり投げたり登ったり、遊んでいます(子どもも一緒にできそう)。P_20190302_080644

これらの方法は何も、本の中で紹介されていないのですけれど(もっとよい方法が紹介されています)、
練習において「足りない運動経験を補うこと」「自分の得たい感覚経験を検証すること」の大切さを、この本から学びました。

たとえば、次のような一文です。

”師にとっては「当たり前」、私にとっては「なんだそれ?」
この「当たり前」の不共有は物事の伝達において非常に大きな障害となります。”(p.249-p.250)

これは、学習プロセスの中で、相当に汎用性のある注意点かと思います。

師と弟子の間には、往々にして、時代背景、生活様式、実践(実戦)経験において差があります。
おおよそ、時代が下れば下るほど、生活の中での運動経験は減っています。
その差をふまえずに、師の言葉だけを聞いていては、師にとって「当たり前」であるがゆえに言語化しなかった前提を、学び損ねるおそれがある。
これは練習する上で忘れてはならない事実のはずですが、僕なんかは気付かないか、気付いても気付かないふりをしがち(気付くとしんどいので…)なところです。

そのような「気付いてしまった以上は、やるしかない」という状況の中で、さらに”駒井節”が身に沁みます。

たとえば、練習の辛さに音を上げそうになった時。
「私は運動が苦手」「私はもう歳だから」というような言葉が頭に浮かんできます。

それは果たして、体の声でしょうか?それとも頭の声でしょうか?
と、駒井先生は問います。そして、

”最近の練習の中で私が勝手にへこたれそうになった時、私自身の体は、
「私はまだまだできるよ」
「あなたと私の能力はそんなもんじゃないよ」
と言っているように思えてなりません。”(p.201)

…うーん、そのとおり!

そして、

”一回の講習で教われば身に付くようなコツもよいですが、骨身に沁み込む位のコツコツした”努力”の先にあるものこそを「真のコツ」と呼ぼうではありませんか。”(p.202)

…そうしようではありませんか!

と、このように熱くなること、間違いありません。

もしかすると、いま自分が試みていることは見当外れなのかもしれませんが、やってみようと思ったことを楽しく続けられるなら、少なくとも、死ぬ時の後悔は一つ減ります。

あくまで本書の主眼は、韓氏意拳の初級教程の教学内容が丁寧に紹介されているところにあるのでしょうけれど、
僕はまだまだ教学内容に詳しくないので、「自分ごと」に引き寄せて読ませていただきました。

僕のような初学者が感想を書くことも、ためらわれるのですが、何しろ「やさしい」韓氏意拳「入門」という書名に免じて、こんな前のめりな読み方もお許しください。

お薦めの本『身体は「わたし」を映す間鏡である』

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『身体は「わたし」を映す間鏡である なぜ人は「あたりまえに動ける」のか?』(甲野陽紀著,和器出版,2018)

何気なく手に取った一冊。…のはずが、この本を読んでから一か月間、毎日の生活のいろどりと味わいが、一変しました。

たとえばある日、自宅でパソコン作業をしていると、娘(6歳)が僕を遊びに誘いました。
いつものとおり、「ちょっと待ってー」と返事をしてから、ふと自分の居心地の悪さに気づきました。
何となく、納まりのつかない、ソワソワした感じ…。

そして、その居心地悪さは、僕の注意がパソコン作業の方へ向いたまま、一応、娘の方へ返事だけしたことに端を発していると、気づいたのです。
あるいは、娘の方へ注意が逸れたまま、パソコン作業を続けたせい、と言えるかもしれません。

試しに、もう一度娘の方へ向き、いま自分がしている用件と、何時頃一緒に遊べるかを伝えて、作業に戻りました。
結果として、先程のソワソワはなくなり、作業を捗らせた後、娘と楽しく遊べました(娘がどう思ったのかは知りませんが)。

またある時、遅めの夕飯を一人でとっていると、手は箸を動かし、口は食べものを咀嚼しながら、目は手元のスマホの画面を追っている…。
そんなことに、近頃、あまり居心地悪さを感じていなかったと、ふと気づきました。

試しに、スマホを別の部屋に置き、食べることに注意を向けてみると、料理の匂い、味わい、後味はもちろん、箸先に感じる食べものの重み軽みまで、新鮮に感じるのでした。
食べた後のお腹の納まりも、よい気がします。

毎日の何気ない「居心地悪さ」に気づき、あれこれ試した結果、「納まりのよさ」を感じる―。
この本の著者、甲野陽紀氏(身体技法研究者)が提案する、「一動作一注意」という観点のおかげで、日々の自分の「あたりまえ」が、とても新鮮に思えてきました。
おもしろいのは、道徳や気の持ちようではなく、身体を通じた(有無を言わさぬ)変化なので、頭での理解とはまた違う、独特の納得感があるところです。

この本について、もう少し詳しくお話しますと。
前半の章では、「注意の向け方」と「身体」の関係の深さについて、著者考案の実験がいくつか紹介されています。

たとえば、「立ち姿勢」や「歩き」といった、私たちが普段、あたりまえにしている身体の動き。
その安定性が、「どこに注意を向けるか」一つで、ガラリと違ってしまうのです。
(それも、動いている本人の実感とは関係なく。)

これらの章では、実験の手順もわかりやすく紹介されており、本を読んでいるというよりも、著者の講座を生身で受けているように展開していきます。
本人のがんばりや実感とは関係なく、動きが楽になるので、呆気なさに笑ってしまうかもしれません。
そこから、自分の興味や専門分野に引き寄せて考え始めてもよいでしょう。また家族や仲間どうし、ちょっとした遊び感覚で試しても、十分おもしろいと思います。

そして、これらの実験を通じて著者が伝えていることの一つが、「一動作一注意」という観点です。

たとえば、動物や子どもの動きには無駄が少なく、ヒトの健康や、身体で何かを表現する分野に関わる人々にとって、興味の尽きない対象です。
その、「動物や子どもはどうしてあんなに純粋な動きができるのか?」という問いに対して、著者は次のように答えています。

「動物は生きるために動く。そのテーマは決して崩れることはない。食べる、逃げる、あるいは襲う。すべての動きは生きるためです。そこはぶれない。
そのぶれなさを、動作と注意という観点でみたとき―(中略)ぶれない目的があるのでおのずと注意は一つに向かっている、とみえます。」(P.59)

「子どもも同じです。ただ遊びたいから遊ぶ、身体を動かす。なぜかというと、それが楽しいからです。周りから見たら子どもは興味のあることだけをしているともいえます。
興味のあることだから注意が散らない。興味のあることをしているときの子どもの注意は、つねに一つに向かっている―。」(P.60 )

そしてヒトの大人でも同様、動く目的(動物の場合の食べる、子どもの場合の遊ぶなどのように)を明確にし、「一動作一注意」が成り立つと、
結果として仕事や対人関係の場で混乱していたことに見通しがついて、うまく流れるようになることもあるのでは、と提案しています。

冒頭に卑近な例をご紹介したとおり、これは特別な人の特別な動きについての話ではなく、誰にとってもあたりまえの動きにヒントが内包されているので、すべての人にとって面白い観点だと思います。

後半の章では、タイトルに「間鏡」(魔境にちなんだ造語)とあるとおり、「間(ま)」についての実験・考察が展開されます。

たとえば、「自分が動く」「相手を動かす」の二択で状況が硬直してしまった時、「間(ま)を動かす」という三択目があると、状況が緩み、関わる人が納得できる可能性があるのでは、と提案されています。
このことも「一動作一注意」と同様、わかりやすい実験を用いて、身体を通じて知っていけるのが、他に類をみないおもしろさです。

いったん、世界に「間(ま)」を見出せるようになると、身の回りのあらゆるところに見えてくるといいます。

することが多過ぎて、頭の中が忙しい―。
硬直した状況に、イライラを感じる―。
便利な生活の一方、こんなことが発端で、身体の不調が生じる方が多いのも、現代の特徴かと思います。

そんな生活において、ヒトが生まれ持っている「あたりまえ」の動きの、すごさ、おもしろさ、ありがたさに気づくこと。
このことは、身体や状況と折り合っていくための、大切なきっかけになるのではないでしょうか。

カルテ整理の時間

おかげさまで、開業から4ヵ月。
お越しくださった患者さんの分だけ、カルテも増えてきたので、一旦すべての患者さんについて整理しました。
カルテを見ながら、「関わる目的、現状、今後の見通し」を(自分で自分に)喋ってみる、というものです。

この作業は、勤務か開業かに関わらず必要ですし、複数で働いている方が「検討会」は開きやすく、より客観性が担保されるのかもしれません。
けれど僕としては、開業し一人職場になってみて、この作業がずいぶん捗るようになりました。
こちらが一人だと、介在する条件が少ないぶん、トライアル&エラーを展開しやすいのかな、なんて想像しています。
あるいは、ただのわがままな気質によるものかもしれません。

トライアル&エラーを展開しやすくなったのは、マニュアル・メディスンの原理を学んでいる影響も大きいです。

筋骨格系、それに付随する血管、リンパ、神経という、多くの要素と相互の関係性を、それぞれ特殊な検査で捉えていくのは、とても大変です。
その点、マニュアル・メディスンでは、四肢長・アライメント評価、可動性検査、触診(組織の質感)、筋力検査などの、「ごく普通の」評価・検査が主です。
これだと、「頭の中が忙しくなりすぎず」、とてもありがたいのです。

さらに、それぞれの結果を相互補完的に解釈すると、一人の患者さんについて、結果・経過を計るための指標が見出しやすいです。
その指標と、患者さんの状態を、思い込みなく追っていくと、少なくとも見当外れのことはしなくて済みます(見当外れになっていれば気づけます)。
そんなわけでカルテには、必要なかぎりの検査結果と指標、自分のしたこと、を記載しています。

(謙遜でもなく)たいした事ができないので、このカルテ整理の時間は続けていきます。

小西貴先生講習会『「選ばれるセラピスト」の条件』ご報告

小西貴先生(理学療法士、医療法人快生会本部事務局)をお招きし、講習会を開きました。

『「選ばれるセラピスト」の条件 ~徒手療法と運動療法の磨き方~』2回シリーズの第1回。

「目の前の相手にどれだけ応えられるか。」
これを自分に問い続けることで、自ずと臨床推論や手技が磨かれていく。
そんなサイクルを回し続けている小西先生から、療法はもちろん、「学び方」も学んでしまおうという試みです。

 

 

クライアントから信頼されるために、

・相手の”当たり前”(価値観)を十二分に把握して接すること
・関わる”目的”、”成果”、”期間”をしっかりと説明できること
・即時効果を出せること
・持続効果のために、あらゆる手段を検討し続ける姿勢をもつこと

という、すがすがしいほど明確な「条件」を示していただき、始まった講習会。

題材として、いくつかの徒手療法、運動療法を例示しながら進めていただきましたが、これらを題材に選んでくださった意図も、「クライアントをよりよく知る」という一点に集約されていて、ありがたかったです。

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個人的に印象に残ったこととしては(小西先生が伝えてくださった通りではないですが)、

・筋骨格系への評価・介入が的確にできると、「生活レベルの運動負荷が、その人の体にとって好ましいかどうか」推察しうる。
・それが推察できると、持続効果を期待する場合の、介入やアドバイスが適切になる(運動負荷をかける前に、代謝・栄養状態に関わる必要性が高いことも)。
・同じく筋骨格系への評価・介入が的確だと、「心的ストレス」「内臓体性反射」の影響も、推し量れる。問診の展開が好ましくなる。
・介入結果として、「検査上の変化なし」「検査上は変化するがパフォーマンスに変化なし」「パフォーマンスは変化するが自覚的変化なし」という情報が、次の展開へのヒントになる。
・そのためにも、介入刺激は適切であることが必要。

その人が「なぜ」そのようになっているのか?
知っていくための糸口を、たくさん頂きました。

さて、今回の講習会を皮切りに、近畿圏の仲間と、定期的・持続的に学ぶ場を設けていく予定です。

小西先生の『「選ばれるセラピスト」の条件 ~徒手療法と運動療法の磨き方~』第2回は、2019年3月3日(日)午後。

また、山形から高橋透先生をお招きし、マニュアルメディスン講習会を行います(以降、奇数月に継続予定)。
2019年3月23日(土)午後~夜、24日(日)午前です。

詳しくは、下記リンクにてご案内しています。

https://daruma7korobi8oki.com/category/お知らせ/

ともに研鑽できれば幸いです。

ヒモトレをお伝えする時、大切にしたいこと

「ヒモトレ」というのは、小関勲先生(バランストレーナー、韓氏意拳教練)が提案されている方法、ないし価値観です。

やり方は単純で、「ヒモに体の一部をあずけて動く」、「ヒモを体にゆるく巻く(添わせる)」のどちらかです。

それだけでも、体の状態や、動きの質が変わります。

動く時の環境、動く時の前提条件が変わるので、それは当然、変わります(ヒモでの刺激が必要十分かはさておき、何らかの刺激があれば生体は反応しますものね)。

その時の、その人にとって、好ましい変化が起こることも多いですし、「ヒモ一本でこれだけ変わるんだから、私の体って面白い」という糸口にもなります。
小関先生はヒモトレの説明をする時、「体の色合いを観る」、「体の経験を通じて、自分との距離感を知る」といった表現を使われます。

僕自身、小関先生から「自分の体の面白さ、色合いや距離感を観る面白さ」という糸口をもらい、自他の観方や稽古に反映させてきました。

頭や意識が先行し、体(という、本来コントロールの及ばない自然)をもコントロールの対象と捉えがち(そして結果、余計な苦しみも抱えがち)な昨今、体を通じた経験や、体を観察するという立ち位置は、とても貴重です。

そのような文脈で、ヒモトレはとてもおすすめです。

 

ただし、何らかの療法に類する文脈でヒモトレを捉えるなら、それなりの注意が必要だと僕は思います。

ヒモトレはその時、その場で好ましい変化を経験できることが多く、一見「産みの苦しみ」が少ないので、(その呆気なさが良い方にも転じるし)悪い方にも転じる可能性があります。

悪い方に転じるというのは、たとえば「症状などの不都合から学べたはずの自分の傾向に、気付かないまま経過してしまう」ことです。

このことを、つじ鍼灸院の辻敦志先生が再三、提言してくださっています。

 

たとえば「手を挙げにくい」という不都合があったとして、ヒモを背中に(タスキ状に)添わせると、手を挙げやすくなる場合があります(よくあります)。

その経験から、「手を挙げる時に背中が参加していなかったんだな」という学びがあれば、ヒモトレの面白さが広がっていくと思います。

しかし、「手を挙げやすくするには、タスキがよい」と解釈してしまうと、自分の傾向に気づかないまま、目的を失った方法だけが残り続けてしまいます。

これでは、もったいないです。

「やってりゃ良いことあるだろう」なんて、ご利益を期待しても、体は応えてくれない。それどころか、よりバランスを崩すこともあります。

 

また、何らかの療法に類する文脈でヒモトレを捉えるなら、気を付けるべきことが、もう一点。

それは、「はたしてその刺激が、必要十分で、目的に適っているか」について、(提供する側が)自省することです。

これはヒモトレ特有のことではなく、インソールやテーピング、マウスピースなど、(本当は徒手や運動も)何らかの刺激を療法として扱う場合には、常に必要だと思います。

 

「じゃあ、あなたはどう扱っているのか」と問われれば。

僕自身は、療法に類する文脈でヒモトレを捉える時には、

・方針の説明にあたって、症状部位と他部位との関係性を知っていただくために使う(これは徒手検査の精度が上がれば、検査だけでできるはず)

・担当患者さんのご家族にヒモトレを伝え、介助方法として役立ててもらう(これができるのは本当にありがたい)

・次回の施術までの間、より好ましい状態が保てるように、セルフコンディショニングとしてお伝えする(その場合、使い方や観察のポイントも含めて伝えます)

このような扱い方です。(施術の手段としては一切使っていません)

どうでしょうか。

正直、ちょっと「面倒くさい」話ですよね。

けれどどんな方法にせよ、療法を謳うのなら、「より好ましい変化を及ぼし、より納得のいく生(死)をお手伝いする」という約束を交わしているのですから、提供する側は常に自省が求められて、当然だと思います。

さらに申し上げるなら、自省している「つもり」ではなく、自省するための、明確な規範(たとえば精確な徒手検査)が必要です。

 

とはいえ、はじめに述べたとおり、僕が小関先生から受け取ったヒモトレの面白さは、「体を通じた経験」や「体を観察するという立ち位置」にあるので、必ずしも、療法に類する文脈でヒモトレを捉えているわけではありません。

むしろ、僕が講習会などでお伝えする場合は(理学療法士向けなど特別な場合を除いて)、そちらの文脈を強調しているつもりです。

たとえば、たすき掛けを「良い」と感じ、身支度としていた時代の人たちは、どんな体の経験・感性だったのか。

そんなことに興味を持ち、今の価値観が全てではないと知れたら、体と一緒に過ごす時間が、より豊かになると思っています。

 

こんなふうに、僕がヒモトレをお伝えする時には、伝える側・受け取る側がお互いに、どのような文脈で捉えているのかを大切にしておきたいです。

誰に求められたわけでもないし、これで上手くいくのかも分からないけれど、「よきもの」のよさを損なわないように、と思います。

「だるま園×アウトドア防災」ご報告

あんどうりすさんをお招きし、アウトドア防災講座を開きました。

りすさんは、24年前の阪神淡路大震災を尼崎市で被災されています。

その体験をもとに、アウトドアには「自分で自分の命を守る知恵が詰まっている」と感じて始め、その魅力にのめり込んでいったそうです。
また、出産・子育てを経て、自分の命を守るだけでは足りないことや、当時の防災・減災のアドバイスには、被災体験や実生活とかけ離れたものが多いことにも気づいたといいます。

このあたりの経緯や、アウトドアの知恵を防災・減災にどう役立てるかについては、『りすの四季だより 家族の笑顔を守る暮らしの知恵』(新建新聞社,2017)に詳しいです。P_20181129_165529_1

現在は東京にお住まいで、年間100回以上の講演をされる、りすさん。
今回、1月17日に神戸市内の企業と小学校でご講演なさるとのことで、前日に、だるま園へお招きできました。

全国で講演していると、
「神戸は一度大きな地震があったから、もう起こらないです」
「うちの地域は、小出しに地震がきているから、大きな地震はないと思います」
などの、不思議な(?)ご意見も聞くそうです。
(おっしゃるお気持ち、分からなくはないですね)

けれど実際には、地震だけを取り上げてみても、日本に200以上ある名前のついた活断層は、今後いつ大きく動いてもおかしくない、とのこと。
また日本は、過去の災害時、「被災者の我慢」を前提に乗り越えてきた(たとえば、避難所が設置されないまま体育館で生活するなど)ため、傾向として防災・減災の知恵の蓄積が少ないそうです。
(避難所運営について国際基準があること、僕は知りませんでした)P_20190116_140740.jpg

「アウトドア防災」についての、りすさんの怒涛のお話(めっちゃエネルギッシュ)は、実際に聴いていただくか、本を読んでいただくのが絶対におすすめです。
ご参加の皆さまの反応が大きかった話題をいくつかあげてみると、

・地震で揺れている最中は、動けないものと思え(揺れた時のポーズを決めていても、とれる可能性は低い)
・そのぶん、建物の耐震性、家具の固定、保険加入などは、日頃の備えが大切
・残念ながら、災害時の性犯罪被害は起こっている(被害者の服装は関係なし。高齢女性や男性が被害にあう例も)。
・災害時、トイレの水は流さない(水が流れても、配管が壊れていたら漏れるor溢れるだけ)
・「1時間100ミリの雨」の重大さを知る、子どもが避難できる水嵩を知っておく
・テントやダウンウェアの蓄熱の原理を知る(車中泊や、ダウンウェアを誤って使うと寒い)
・「バーベキューをしないキャンプ」で、星空を眺める時間をもつ。

これらの話題一つ一つに、具体的な学びがあるのですけれど、「対策をおぼえよう」とか「対応例に○×をつけよう」というわけでは、ありません。

むしろ、自然相手の状況判断に「○か×か」はないので、日頃から、ものごとの仕組みに遡って考えるくせや、自分のおかれた状況を知る習慣をつけておくのが大切です。

・布一枚での抱っことおんぶ
・古武術介護を応用した救助例
なども紹介していただきましたが、これらも、重心位置や、体にかかる力の配分などで、わかりやすく説明してくださりました。

防災・減災を、日常とかけ離れたことと捉えてしまうと、つい後回しにしてしまいます。
日頃の考え方や、体の経験として習慣づけておくと、いいかもしれませんね。
ご参加の皆さまも、それぞれの琴線に触れたことを、持ち帰ってくださったようです。
ありがとうございました。

整体とアウトドア、そして防災・減災。
一見、かけ離れてみえるかもしれませんが、
「いかなる状況にあっても、その人らしく生を全うする」
という意味で、僕は近しいものを感じています。

これからも折りに触れて、今回の復習会や実践を続けていこうと思います。
あんどうりすさんをお招きする機会もまた作りますので、ご関心が湧いた方は、ぜひ次回お越しください。

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2018年 10大ニュース(備忘録)

(1)3月、合気道弐段の允可とともに、凱風館助教補を拝命しました。

おかげさまで、今年は自分を省みる時間が増えました。
内田樹先生が常日頃、「教えることが最良の学びになる」とおっしゃるとおり。
曖昧なまま放っておいた手順や、体術の前提となる立ち方・触れ方、後回しになりがちだった武器の稽古など。
人に伝えるとなって初めて、自分の未熟さを、普段から明るみに出す気になりました。
(これまでも隠しているつもりはなかったので、それは無自覚の怖いところ)

この時期、「自分の未熟さが知れたらラッキー」という心構えになっていたから、高橋透先生に出会えたのかも。
タイミングとは不思議なものだと、あらためて感じます。

(2)4月に、山形・城南治療室の(韓氏意拳教練でもある)高橋透先生とお会いしました。

辻先生がご紹介くださり、つじ鍼灸院にて、透先生の診立てと施術を体験しました。それはもう、圧倒される経験で。
検査で得ている情報量、情報を統合する的確さ、過不足のない手技、患者さんの能動性を損なわない態度…
僕が大切にしたいことを全て、はるか高い水準で体現されている。
その後、定期的にご指導いただくようになり、研鑽の方向性と質を変えたいと思ったことも、開業のきっかけとなりました。

(3)8月、西日本豪雨災害地域でのボランティアに参加しました。

凱風館ゆかりの崎山さんが、広島でボランティア拠点を立ち上げられたので、お手伝いに。十数年ぶりのボランティア活動でした。
今年は、人にとって「天災」続きだったので、
「人為の及ばない自然の中で、いかに生きるか」「いざという時に、自分はどういうふるまいをするのか」
否応なく考えさせられました。

お手伝い自体は、土砂の運び出しや掃除、地元の皆さんととれたて野菜を食べるなど、穏やかなものでした。
ご一緒した小児科医のご夫婦と道中、昨今の子育て事情、今後の支援の可能性など、お話できたこともありがたかったです。

(4)10月、「整体だるま堂」を開業しました。

一念発起という実感もなく、物件を見た瞬間に「なんだか懐かしい場所」に思えて、開業を決めました。
前勤務先である御影ごきげんクリニックから近く、担当患者さんがこちらに移るにもかかわらず、快く応援してくださった久綱院長に感謝。
また、公認会計士の鯉田先生、ホームページ作成については佐本さんにも大変お世話になりました。
凱風館というコミュニティなくしては、実現しなかったと思います。

開業してまだ3ヶ月、これから色々あるでしょうけれど、患者さんに良くなってもらう研鑽さえ続けていれば、何の心配もいらないと分かりました。
患者さんが、ご家族や友人を紹介してくださるのが本当にありがたく、身に沁みます。

(5)10月、山口にて理学療法士向けのヒモトレ講習会をさせていただきました。

ヒモトレには、いくつかの文脈や側面がありそうです。
その一面として、理学療法士が扱うなら、「どのような検査をふまえて、なぜヒモトレを選ぶのか」を自覚した方がよいように思いました。
(とはいえ、それが唯一のヒモトレのあり方とも思っていません)
この機会に、自分なりに整理できてよかったです。機会をくださった山口の皆さん、ありがとうございました。
数学教師であり、朴の森・鍵山記念館を管理なさっている藤野貴之先生とお会いできたのも、必然を感じるタイミングでした。

(6)10月と11月、小学校での保健活動をお手伝いしました。

公立小学校2校で、「すこやかな成長・けがの予防に役立つお話と運動指導を」とご依頼いただきました。
昨年に続いて依頼くださった先生、転任先からお声を掛けてくださった先生のおかげ。
学校ごとの特色を知り、関心をもってもらえるだけのお話、なるべく実情に合った運動、提案した運動を定着させるための工夫など。取り組みの中で、色々と鍛えられました。
このあたりは今後、一対一での施術の精度が上がるほど、一対多の場面でも、よい工夫ができそうに思います。
子ども(や、子どもに関わる大人)の足しになるような取り組みを、これからも続けてまいります。

(7)11月、関根秀樹先生「原始の火を灯す」での火おこし。

前々からお会いしたかった、関根秀樹先生(和光大学非常勤講師)は、縄文人がそのまま今の時代に現れたような、知性と野生のかたまりでした。
「原始の火を灯す」ワークショップで火おこしや竹細工を経験し、この冬は火おこし、焚火を楽しんでいます。

また、同じく11月に、児童文学者・島式子さんのご縁で伺った「子どもの本専門店 メリーゴーランド」の増田喜昭さん。
12月に「フットボールと武術をつなぐ」でお会いした、サッカー指導者・池上正さん。
この方々にも、知性と野生の両面を感じました(子どもを軽んじないという共通点も)。
かっこいい大人に出会えた一年でした。

(8)12月、小関勲先生とのだるま園「大人も子どもも育つバランス」。

バランストレーナー・韓氏意拳教練の小関勲先生。
凱風館での講習会にお越しいただいた後、幸運なことに韓氏意拳個人指導、だるま園でのコラボ講習会が実現しました。
そもそも小関先生に始まる一連の出会いがなければ、大人と子どもの遊び場「だるま園」を始めることは、ありませんでした。
ご参加の皆さんに小関先生を知っていただけたこと、そして小関先生に、今の自分の取り組みを見ていただけたこと、うれしかったです。

ちなみに、だるま園は「大人と子ども」を対象にしており、「親子」向けを謳っていないのですが、まだまだ「親子」講座と思われがちです。
「大人みんなで、子どもみんなをみる」。これから、やり甲斐があり、楽しみなところです。

(9)いつの間にか、たくさん世話人をさせていただきました。

藤田五郎先生(香川県立善通寺養護学校教諭)「関係の中でセラピーを紡ぐ」
高橋佳三先生(びわこ成蹊スポーツ大学教授)「スポーツパフォーマンスを高める古武術」
有田亜希子さん(練心庵ボイトレ講座担当)「声の地図を作る」
そして、先述の小関勲先生。

われながら、センスのよい人選かと思います(笑)
自分が間近でお話を聴きたい先生方、大切な人とお繋ぎしたい先生方をお招きしているうちに、こんなことになりました。
こうして見ると、すべての先生方が、合気道凱風館と韓氏意拳にご縁をお持ちですね。つまり、そういうことです。

(10)今年、初めて10大ニュースを振り返ってみましたが、難しいものです。

どうしても、一つの出来事としてまとめきれない経験や、「ニュースにはならない」日常を支えてくださった皆さんのことが、次々と思い出されます。
来年も、お一人ずつとの時間を大切に。稽古、研鑽を淡々と。命の向かう先へのびやかに。
そんな一年になれば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。