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だるま園「ころびかた教室」@アースデイ神戸 ご報告

5月4日、5日開催のアースデイ神戸。
「かんじる、つながる、かえられる」をテーマに、環境や、多文化共生に思いをはせる二日間。
食、衣、育などについて、お店やライブ、ワークショップが集まっていました。

その中で開かせていただいた、だるま園「ころびかた教室」。
「ころびかた自体は練習できないのに、どうして上手な人と下手な人がいるんだろう?」
という問いかけから始まりました。

 

今回は、
「手をつく」と「前脚で着地する」の、構造的な違い。
生き生きとした反射を保つための、いくつかの条件。
など、「ころぶこと」に詰まったヒントをお伝えしました。

 

2歳から50歳代まで、みなさん楽しんでくださり、それぞれの目標もクリアできたので何よりです。
これからの日々の過ごし方に、ささやかでも役に立てば幸いです。

うちの子ども達も、たくさんの大人、学生のみなさんに遊んでもらい、はしゃいでいました。
身の丈でできる「共生」について、あらためて考え、感謝した二日間でした。

ありがとうございました!

 

うちかど助産院での、だっことおんぶの講座

ご縁があり去年から、岡山県・児島の”うちかど助産院”で、だっことおんぶの講座をさせてもらっています。私(中西衣理)が岡山出身なこともあり、行くと芯からホッとする場所です。

うちかどさんは、おおらかで朗らかです。
会うといつも、「ああ〜岡山の人じゃ」と、うれしくなります。
うちかど助産院のお昼ごはんは、彼女のお母さんが育てた野菜をふんだんに使っていて、おいしいのはもちろん、満ち足りた気持ちになります。

だっことおんぶの講座では、ご参加の皆さんがにっこり笑って、「すっげ」「これ、ええがあ〜」と喜んでくださるのが、とても嬉しかったです。
お母さんやおばあちゃんに抱かれ、眠った赤ちゃん。
その寝顔を見ると、あ〜よかったねえ、よかったなあ、と思います。

うちかど助産院では、何だか実家に居るような気持ちで過ごしていて、毎回、帰りの電車の時間をハッと思い出し、慌てて帰っています。
岡山で子育て中の方、里帰り出産の方、心や体を休めたい時、相談事がある時、美味しいものが食べたい時。
うちかどさんに連絡してみると、きっといいことあると思います。

海の見える助産院 うちかど助産院

 

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だるま園4月「春の野遊び」ご報告

4月7日(日)のだるま園。
焚き火をしました。

燃えやすいものを探す、薪を細かくする、火をつけてみる。
ただそれだけなのですが、大人も子どもも、ちゃんと気の向くことを見つけます。

主催する僕としては、「ただそれだけで、何もしない」ことに、少し自信がつきました。
何もしないけれど、こういう時、芋とコーヒーがおいしいのは大事です。

自主練習会のこと

3月30日(土)、神戸にて徒手検査の自主練習会。
週末夜にもかかわらず、4名参加くださいました。

可動性検査、筋力検査を丁寧に。
参加者の志向が「検査手順をこなす」から「相手の反応を知ろうとする」に変わると、がぜん面白くなってきます。

今回は、参加者の自覚症状をふまえて、上記検査を組み合わせ、どの部位のどの運動方向が身体への負荷になりやすいか、評価を進めました。
評価が進むと、対象者が「そういえば普段、ちょうどこの動き、こんな体調の変化が気になっていたんです」と、自ら話し始めたりするのも印象的です。

このような話が出てくる時、対象者がそこに良くなる可能性(と、セラピストへの信頼)を感じ始めているように思えます。
そして対象者が可能性を感じれば、リハビリテーションの目標設定すら、変わってくるかもしれないな。と思いました。

「その人を知る」という抽象性の高い事柄に、(単純化しすぎず)具体性をもたせていく。
どこまでいっても、「これでよし」とはならないでしょうから、昨日より良くなるようにしていきたいですね。

5月25日(土)26日(日)のマニュアルメディスン講習会までに、あと数回、自主練習会を設けます。
練習会は募集をオープンにしませんので、関心のある方(医療従事者)は、個別で中西宛てにお問い合わせください。

マニュアルメディスン講習会 ご報告

山形から高橋透先生をお迎えしてのマニュアルメディスン講習会、第1回を終えました。
二日間にわたり、のべ13名が参加。

鍼灸師・柔道整復師・理学療法士と、職種に違いはあれど、価値観を共有できる方ばかりだったのが、とてもありがたく。
幸先のよい出だしとなりました。

今回の講習会における価値観をキーワードで表すなら、
・恒常性
・体内の情報伝達
・テンセグリティ

「対象者の治癒や運動学習を援けるときに、対象者の心身はどのような状態であるのが好ましいか。」
言い換えれば、「恒常性が安定し、回復や学習にエネルギーを回せるだけの構造・情報伝達になっているか。」

そのような問いかけに真摯に答えようとすれば、おのずと目指す方向は共有できるように思います。

また、一見抽象度の高い問いかけに、具体的で明確な基準をもって答えようとするなら、
「当たり前の」検査(可動性、筋力、アライメント)の精度を上げる必要があります。
その精度を、前半、高橋透先生が示してくださいました。

後半では、検査結果の優先順位のつけ方や、アジャストテクニック、筋エネルギーテクニックなどの手技の一端も注ぎ込んでいただきました。

 

触れ方、診立て方は練習次第。
熱い参加者に恵まれたので、次に先生をお招きする2か月後までに、4~5回は自主練習会を設けることにします。

次回、2019年5月25日(土)・26日(日)に講習会を予定しています(詳細の告知は、またあらためて)。
参加を検討している方は、自主練習会から参加していただいて構いません。
自主練習会については、私宛てにご連絡くだされば、個別にご案内いたします。

高橋透先生、ご参加の皆さま、本当にありがとうございました。
これから長いお付き合いになりますが、どうぞよろしくお願いします!

池上正さんファミリー野外教室のこと

池上正さんのファミリー野外教室に、家族で参加しました。
池上さんは、『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法』 (小学館,2008)、『叱らず、問いかける 子どもをぐんぐん伸ばす対話力』 (廣済堂出版,2013)などの著書もある、サッカー指導者です。

真冬を除いて月に一度、大阪府千早赤阪村で開催されている、この教室。
池上さん自身が、「この場所のいちばんの良さは、遊び道具が何もないところです」と仰るとおり、あるのは小山と広場と炊事場くらい。

薪割りや火つけ、炊事など、最低限の段取りだけがあり、決められた役割分担もありません。
子ども達は、勝手に自分の好きなことを見つけて、没頭します。

木を切る、火をつける、食事を作る、小山を駆け下りる、落とし穴を作る、自分の背丈の何倍もある竹を運んでくる…。
そんな時間を過ごしているうち、子どもの(大人も)体の密度が高まってくるように見えました。
ぱつんぱつんに、弾けそうな「いのち」を感じます。

「この木、どうしたらいい?」と子どもに聞かれ、池上さんの答えは「考えてごらん」。
窮屈そうに作業する子どもには、「自分が動きやすいように、周りに落ちている物を整えてみたら?」。
与えるだけの指導はただの一度もなく、問いかけだけが豊かな、一日でした。

何もなければ、工夫して遊び始める。
問いかけだけあれば、自ら学び始める。
「いのち」は必ず、守られている。

いやもう本当に。これ以上に大切なことって、あるんかな。
こんな場を、自分の住む街でも当たり前にしていきたいな。
と、あらためて思いました。

お薦めの一冊『駒井式 やさしい韓氏意拳入門』

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一冊の本を読んだ後、知見が増えたり、価値観が変わったり、新たな感情の引き出しができたり…。
そういう経験は多々あります。
けれど、一冊の本を読んだ後、練習したくてしたくて堪らなくなる。その日のうちに日課が変わる。
という経験は、なかなかできるものではありません。

そんな一冊が、『駒井式 やさしい韓氏意拳入門』(日貿出版社,2019)です。

僕の場合、とりあえず家にあった「自分なりに重い物」を抱えて歩くこと、なわ跳びを跳んでみることから始めました。
あとはロープ一本を使って、引いたり投げたり登ったり、遊んでいます(子どもも一緒にできそう)。P_20190302_080644

これらの方法は何も、本の中で紹介されていないのですけれど(もっとよい方法が紹介されています)、
練習において「足りない運動経験を補うこと」「自分の得たい感覚経験を検証すること」の大切さを、この本から学びました。

たとえば、次のような一文です。

”師にとっては「当たり前」、私にとっては「なんだそれ?」
この「当たり前」の不共有は物事の伝達において非常に大きな障害となります。”(p.249-p.250)

これは、学習プロセスの中で、相当に汎用性のある注意点かと思います。

師と弟子の間には、往々にして、時代背景、生活様式、実践(実戦)経験において差があります。
おおよそ、時代が下れば下るほど、生活の中での運動経験は減っています。
その差をふまえずに、師の言葉だけを聞いていては、師にとって「当たり前」であるがゆえに言語化しなかった前提を、学び損ねるおそれがある。
これは練習する上で忘れてはならない事実のはずですが、僕なんかは気付かないか、気付いても気付かないふりをしがち(気付くとしんどいので…)なところです。

そのような「気付いてしまった以上は、やるしかない」という状況の中で、さらに”駒井節”が身に沁みます。

たとえば、練習の辛さに音を上げそうになった時。
「私は運動が苦手」「私はもう歳だから」というような言葉が頭に浮かんできます。

それは果たして、体の声でしょうか?それとも頭の声でしょうか?
と、駒井先生は問います。そして、

”最近の練習の中で私が勝手にへこたれそうになった時、私自身の体は、
「私はまだまだできるよ」
「あなたと私の能力はそんなもんじゃないよ」
と言っているように思えてなりません。”(p.201)

…うーん、そのとおり!

そして、

”一回の講習で教われば身に付くようなコツもよいですが、骨身に沁み込む位のコツコツした”努力”の先にあるものこそを「真のコツ」と呼ぼうではありませんか。”(p.202)

…そうしようではありませんか!

と、このように熱くなること、間違いありません。

もしかすると、いま自分が試みていることは見当外れなのかもしれませんが、やってみようと思ったことを楽しく続けられるなら、少なくとも、死ぬ時の後悔は一つ減ります。

あくまで本書の主眼は、韓氏意拳の初級教程の教学内容が丁寧に紹介されているところにあるのでしょうけれど、
僕はまだまだ教学内容に詳しくないので、「自分ごと」に引き寄せて読ませていただきました。

僕のような初学者が感想を書くことも、ためらわれるのですが、何しろ「やさしい」韓氏意拳「入門」という書名に免じて、こんな前のめりな読み方もお許しください。