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「触れて、みる」第5回 ご報告

テーマ:触れた面を、美しく

触れ合うことで、描き出される「面」。

接触面にシワが寄らないように動いてみると、
自分で起こした結果に、自分で驚くかも(!?)という内容でした。

また、面を丁寧に扱っていると、
「一旦出来た関係性を、雑にせず扱う」ことが、
習い性になるような気もします。

「触れて、みる」第4回 ご報告

第4回のテーマは、「身の振れ幅に、触れてみる」。

私達は、と言いたいところですが、少なくとも私は、日頃、意識的に物事を捉えることに慣れています。

そうすると不思議なもので、身体についても、意識で捉えられる範囲しか、存在しないような気がしてきます。

これは明らかに間違いで、実際には、私が寝ても覚めても、身体は動き続けています。

また、その動きは野放図ではなく、ある種の幅やリズムを刻んでいます。

そういう現象が「ある」と知り、触れてみれば、物事の観え方が変わることも。

ただ、こういった微細な動きに触れる時には、動きを邪魔しないような工夫が必要です。

そのような工夫をしていると、触れてもらう側だけでなく、触れる側の身体にも「ちょうど良さ」が生じてくるから不思議ですね。

「触れて、みる」第3回 ご報告

第3回のテーマは「繋がりに、触れる」。

ここでの「繋がり」は一旦、自分の「構造なりの端から端まで」としました。触れてどうこうする以前に、自分の「構造なりの端から端まで」を知り、動いてみる。

そうすると、触れた相手に生じる結果が、驚くほど変わります。という事を、感覚受容器の特性という切り口で、お伝えしました。

感覚には、どうしたって慣れが混ざるので、当てになりません。それでも、生きて学ぶ上では、感覚が欠かせません。

とても悩ましいところですが、その折り合いをつけるためには、何を規範として感覚を養っていくのか、が大切になりそうです。

その規範はおそらく、身の構造、そして他者、という事になるのだと、考えています。

せっかく「相手に触れて、何か良い変化をもたらそう」と盛り上がっている時に、「まずは自分を問い直してみましょう」と言うのは、肩透かしのような、意地悪のような感じもしますが、試みる価値があります。

身体は迷いを嫌うので、迷いのある人が触れると、案外、簡単に壊れていく。反対に、(意識ではなく)身体に迷いのない人に触れてもらうと、自ずと丁度よくなる。

そういう切り口があると、世界がより面白く観えてくる。かもしれません。

お薦めの一冊 『さよなら、男社会』

『さよなら、男社会』(尹雄大、亜紀書房、2020)

今、読めてよかった。
タイトルから思い浮かぶ「男性批判」の文脈は、一切ありません。
むしろ、この本を読めば救われる「男性」(女性の内にいる「男性」含めて)が多いのでは、と思います。
感想を少し。

社会について論じるならば、社会の基となる、個々の身体の探求から初めざるを得ない。
尹雄大さんの著作から、私は毎回このメッセージを受け取り、救われます。

そうして、自他の身体を省みた時に、「ありえたかもしれない」理想や、「そうであって欲しい」願望を押し付けることが、身体にとって、いかに無益(でありながら、いかに執拗に繰り返される態度)かを、日々思い知ります。

さりとて、これは「希望を持つな」という話では、決してありません。
誰の物かも分からない理想や願望に、きちんと「さよなら」することで、他ならぬ自らの希望が、明晰に立ち現れる。
そんな慈しみに満ちた話かと思いました。

自分の内なる曖昧模糊とした葛藤に、きちんと「さよなら」したい。
そう思う男女の手に、届いてほしい一冊です。

「触れて、みる」第2回 ご報告

今回の『触れて、みる』では、関根秀樹先生監修の元、“看・見・視・観・診”の語源に立ち返ってみました。

その源から、 見ている「つもり」と「ちゃんと」見るの違い、 なぜ「触れる」が「観る」の糸口になるのか等、 実技を通じてご提案しました。

キーワードは、「足の向き」「筋膜」「固有感覚」「手根骨」「方向を素直に」等、目新しいものはありません。

それでも、自身を振り返り、日々の生活を楽しむヒントになるかと思います。

次回は、参加者の皆さんが少し難しそうにされていた(実際難しい)、「繋がりの有無を観る」を深める予定です。

2020.10.10-11 関根秀樹先生ワークショップ ご報告

古代の火を灯す。

音を奏でる。

刃を研ぐ。

即興で弓を作る。

大人が遊び、自らの手で出来ること、出来ないことを知る。

子供も遊び、時々、大人の姿を観る。

ともに火を囲み、手を動かし、季節の恵みを食す。

「これでいいのだ」と思える二日間。

火や音、遊び道具なんて、与えられるのが「当たり前」。そう思ってきました。

でも、見つけかた、取り出しかたを習得すれば、これらは生み出せるものに換わる。

こうして、それまでの「当たり前」が書き換わる瞬間が訪れます。

この瞬間に立ち会えるのは、遊びも施術も、同じかもしれません。

「触れて、みる」講座のご報告

TCアカデミーで講座を担当させて頂きました。

触れて、見る
触れて、観る
触れて、診る

色々な字を充てられる中で、今回は「触れてみる」。
「触れるを試みる」ことから、始めました。
ともすれば、「触れてもらう側」の変化に目を向けがちですが、「触れてみる側」の変化を観ておくこと、意外と大切です。
それを踏まえていく、初回でした。

そんな中、思惑とは別に、ご参加の皆さんのおかげで気づけたことが、一つ。
それは触れてみると、「応じる身体」とでも言えそうなものが、立ち現れてくること。

「応じる身体」っていうと、

外からの力に、応じる。返す、乗っかる、受け流す。
壊れれば、癒える。
暑ければ、冷える。
人の話が、聴ける。
景色に、心が動く。

例えばこんな応答が、丁度良く出来ているか。
触れることで、垣間見えそうです。

今後も、あくまで施術者の観点から「触れる」を試みるつもりですが、

ヒトの運動発達
暮らしの中の必然的な動き
踊り、祈りなどの文化的所作

などにもヒントを得ながら、歩を進めていきたいと思います。
壮大すぎてビビりますが、何だか面白そうじゃないですか。

道具のラビリンス(迷宮) 書庫

和光大学 関根秀樹先生による「道具のラビリンス(迷宮)」を、ご紹介します。
「道具のラビリンス」は、2014年~15年にかけて、和光大学の学生によって、ほぼ週刊で刊行されていた zine(個人発行の小雑誌) Camel magazine に連載されたものです。

発火具、刃物、楽器、農具・猟具など、数多の道具を介して、ヒトは世界に触れ、自らの身体経験を得てきました。昨今、道具について無頓着でも生活は成り立ちますが、そのせいで何か失っている事はないでしょうか。道具の歴史と実践から、先人の暮らしや知恵を垣間見ることは、身の丈の自信を持つための一助となりそうです。

≪道具のラビリンス(迷宮)書庫≫

第1回「トルコ式コーヒーミル」

第2回「使えないスプーン」

第3回「アール・ヌーヴォーの印璽と紙刀」

第4回「子ども靴の木型」

第5回「旅の携帯コップ 水飲み」

第6回「スチーム・パンクの卵」

第7回「ルーペと火取玉」

第8回「さまざまなものさし 前編」

第9回「さまざまなものさし 後編」

第10回「火をつくるデザイン 摩擦発火具」

第11回「火をつくるデザイン 火打石」

第12回「附木と燐寸」

第13回「砂時計のある風景」

 

≪関根秀樹先生 ご紹介≫

2018年「原始の火を灯す」ワークショップ in岡山

2020年「火と音をつくる」ワークショップ in神戸

動画「ぴよぴよヌンチャクの演奏」

福島県生まれ。文系・理系・芸術系・身体系の多分野を気ままに往還するフリーの研究者&ライター。非常勤講師として和光大学では「火の人間史」と「音響人類学」、桑沢デザイン研究所では「手で考える道具と技術」、多摩美術大学では「絵具実習」を担当し、各地で多彩なワークショップを展開。『焚き火大全』『新版 民族楽器をつくる』『縄文人になる!』『刃物大全』『宮沢賢治キーワード図鑑』ほか数十冊の著書がある。「火起こし世界チャンピオン」「ぴよぴよヌンチャク奏者」などユニークな特技でも知られ、「タモリ倶楽部」や「スコラ坂本龍一音楽の学校」などにも出演している。和光大学空手部顧問。

地球上での間借り生活について。 そして、なぜ「触れる」のかを問い直す。

こんにちは。整体だるま堂の中西です。
コロナウイルス流行によって、生活や心身の状態が一変した方も多いかと存じます。
大変な思いをされている皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

多分に漏れず私も、自分の世界観や、興味の方向性を問い直すことになりました。
これらを問う時間は、整体だるま堂の運営を初め、日々いかに動くか(動かないか)決めるために、どうしても必要でした。

先に申し上げておきますと、今のところ、身近な人の命を失ったわけではありません。
けれど、もし今後、自分や家族の命を感染症で失ったとしても、この世界観と、興味の方向性は大きく変わらないだろう、という位の覚悟はできました。

その世界観というのは、「人間は地球上で、間借りして暮らしている生き物だ」というものです。
また、そこから導かれて、僕の興味は「身体に触れさせて頂くこと。結果として、その人の世界の観え方が少し、豊かになる」という方へ向いています。

「人間が地球上で間借りしている」という観方には、「人間至上主義」との対比から、思い至りました。
この「人間至上主義」という表現は、岩田健太郎先生(医師、神戸大学病院感染症内科)から伺ったものです。

今年4月初めに、凱風館で、内田樹先生と岩田先生の対談を拝聴しました。
(対談内容は、雑誌AERA 2020年4月20日号に収められています。)

世界各地で、HIV、SARS、エボラなどの感染症と対峙してこられた岩田先生。
そのロジックはとても明快で、今回のコロナウイルス流行への対処についても、考えうる状況ごとに、示してくださいました。
感染症予防の見地から、ウイルスに対して無謀な接し方をしないために、とても貴重なお話でした。

また、具体的な対処法にも増して、卓見だと感じたのは、「私は人間至上主義です」という立場を明確にされたところです。
完璧な再現はできませんが、「人間の命が助かるのなら、(現実的には難しいけれど)全てのウイルスが死滅すればよいと考えている」という表現をされました。
また、「だから私は、息子と動物園に行って『パンダかわいいね』なんて言う自分は、偽善者だと自覚している」とも仰っていました。

その立場との対比が許されるのであれば、私には「人間が地球上で間借りしている」ように観えています。
そして、地球が何かしら平衡を保とうとする時、そこに間借りしている人間の命が、儚く失われることもある。
それも最終的には、受け入れようと思います。
地球が平衡を保とうとする現象は、ウイルスの発生に限らず、地震、台風なども含めて考えています。

繰り返しになりますが、これらの現象で、僕は身近な人の命を失ったわけではありません。
実際に誰かが亡くなれば、悲しみに暮れると思います。

また、生きることを簡単に諦めるわけでもありません。
時に厳しく、時に穏やかな顔を見せる自然の中で、生きることを満喫したいと願っています。

このような自らの世界観にあらためて気づき、来し方を振り返ってみると、

平衡(バランス)とは?を問うため、
バランストレーナー 小関勲先生の「大人も子どもも育つヒモトレ」

逆境を生き延びるため、
アウトドア防災ガイド あんどうりすさんの「アウトドア防災講座」

自然と共に生きた先人の知恵を学ぶため、
和光大学 関根秀樹先生の「火と音をつくる」

そして、身近な自然である、自らの身体を知るため、
高橋透先生の「マニュアルメディスン講習会」

を開いています。
その時々で、出会いと直感に任せてお願いしてきましたが、振り返ってみれば、一本の流れに乗ってきたのだと分かります。
そして今後も、この興味の方向性は変わりません。

自分の仕事の軸が、マニュアルメディスンの施術であることも、変わりません。
それも、「症状を無くす」「身体を治す」という方向性ではなく(それらもプロセスや表面上の事柄としては大切ですが)、
「身体が変わる、身体への観方が変わることで、世界の観え方が変わる」、そして「生きることを全うする」という方へ向かいたく思います。

「世界の観え方が変わる」という点では、解剖学者 養老孟司先生の影響を色濃く受けています。
例えば、スタジオジブリ 宮崎駿さんの対談『虫眼とアニ眼』(新潮文庫、2008年)で養老先生は
「自然環境というのは、ものすごいディテールで成り立っていて、いまの人間は、それを完全に無視して生きているということです。」
と仰っています。

この世界の瑞々しいディテールを、ピントを合わせて余さず受け取れる。
そのような身体と感性を磨く一助として、マニュアルメディスンを用いたいと思います。

感染症が流行する世界では、もしかすると、「触れる」ことを躊躇う風潮が生まれるかもしれません。
それだけに、「触れる」ことの真価も問われそうです。
差し出し方にも工夫が必要でしょうけれど、これからも、「触れることで、世界の観え方が変わる」ような経験を目指し、研鑽を続けます。

 

関根秀樹先生「火と音をつくる」 ご報告

人間の原初からのふるまい、火と音。その豊かさを、味わう一日でした。

今日一日、驚きと笑顔に満ちていましたが、その材料は、自然の恵みだけです。あとは、恵みをいただく為の知恵と技術。

これだけ豊かな時間が過ごせるのに、どうして人間は、自然の「外へ」出たがるのか。そんなことも少し、考えました。

鳥のさえずり。木の葉が風を切る音。杵が穀物をつく音。心臓が胸を打つ音。
身近な恵みと工夫で、それらの音を奏でてきた先人には、誇らしさすら感じます。

夜になって雨が降り出した神戸も、昼間は温かい日差しに包まれました。誰かに「やんなさい」と背中を押してもらった気がします。

関根先生、ご参加の皆さん、ありがとうございました。1583583417980