「”膜”と響きの話」第1回

■全身を繋ぐ器官

人体に張り巡らされており、ある文化では”fascia”、”膜”と呼ばれる器官の話。

“膜”の例として、横隔”膜”がよく知られています。
このような”膜”は、人が理解しやすいように、便宜上分けて名前が付いている箇所もあります。
けれど実際には、途切れることなく体を覆い、また、体の深部を貫いています。
頭のてっぺんから、手の指先、足のつま先まで、ひと繋がりの器官です。

■”膜”の特性

ひと繋がりの”膜”。
その特性は何でしょうか。

一つは、自分の体が「どこで何をしているか」について感知する(固有感覚の)センサーに富んでいること。
もう一つは、収縮性、弾発性に富んでいること。
これらの特性ゆえ、人の生命活動に欠かせない「感覚 ⇄ 運動」の輪において、主役級の役を演じます。

「感覚 ⇄ 運動」の輪とは、耳慣れない表現かもしれませんね。
たとえば、水の入ったコップを取ろうとする場面を思い浮かべてみましょう。
一旦コップへ向けて手が伸び始めたら、コップの重さや大きさ、距離に応じて、体が自ずと変化し続けます。
この間、”膜”は”全身が「どこで、どんな形をとっているか」感知し続け、その情報をもとに、丁度よいテンションで体の形を変えていきます。
こうして見ると、人体が動いている時、感覚と運動はどちらが先とも言えず、輪がぐるぐると循環するように働いているようです。

■”膜”における自覚/無自覚、意識/無意識

そして実は、この”膜”がやり取りしている感覚のうち、私達が気付けているのは、ほんのわずか。氷山の一角みたいなもの。
むしろ無自覚な水面下で、体内を巡っている情報がほとんどで、それらは自律的に処理されています。
コップを取ろうとする時も、毎瞬、自分の形を自覚している訳ではありませんね。

また、この“膜”が表現する運動は、意識的な動きに限りません。
歩く、跳ぶ、息をするなど、バネやボールが弾むのに似て、意識せず成り立つ動きもあります。

“膜”によって自ずと成り立つ運動は、他にもあります。
私達は重力や気圧のもと生きているので、それらの圧に応じて”膜”は自由にテンションを変え、バランスを保っています。
ここで、もし”膜”が自由に変化できないと、何が起きるでしょうか。
「天気痛」なんて言葉を、耳にしたことがあるかもしれません。
天候・季節などに伴い外界の圧が変化した時、体の”膜”に張り過ぎ、または緩み過ぎがあると、痛みや眩みが生じることもあります。

運動面で言えば他にも、血液・リンパ液を「運」ぶとか、ある方向へ心が「動」くことにも、この”膜”が関わります。
このような無自覚、無意識の範囲まで、”膜”の働きを見て取れる。

こうして見てくると、感覚にせよ運動にせよ、私達の与り知らない水面下で、沢山のやり取りがなされているんですね。
そのやり取りの多くは気づかれないまま、まるで泡のように浮かんでは消え、浮かんでは消えしています。
今のところ、「へぇそうなんだ」くらいに留めておいてください。

第1回はここまで。お読みくださり、ありがとうございました。

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