古代の火を灯す。
音を奏でる。
刃を研ぐ。
即興で弓を作る。




大人が遊び、自らの手で出来ること、出来ないことを知る。
子供も遊び、時々、大人の姿を観る。
ともに火を囲み、手を動かし、季節の恵みを食す。



「これでいいのだ」と思える二日間。
火や音、遊び道具なんて、与えられるのが「当たり前」。そう思ってきました。
でも、見つけかた、取り出しかたを習得すれば、これらは生み出せるものに換わる。
こうして、それまでの「当たり前」が書き換わる瞬間が訪れます。
この瞬間に立ち会えるのは、遊びも施術も、同じかもしれません。