こんにちは。だるま堂の中西です。
新型コロナウイルス流行によって、生活や心身の状態が一変した方も多いかと存じます。
大変な思いをされている皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
多分に漏れず私も、自分の世界観や、興味の方向性を問い直すことになりました。
これらを問う時間は、だるま堂の運営を初め、日々いかに動くか(動かないか)決めるために、どうしても必要でした。
先に申し上げておきますと、今のところ、身近な人の命を失ったわけではありません。
けれど、もし今後、自分や家族の命を感染症で失ったとしても、この世界観と、興味の方向性は大きく変わらないだろう、という位の覚悟はできました。
その世界観というのは、「人間は地球上で、間借りして暮らしている生き物だ」というものです。
また、そこから導かれて、私の興味は「身体に触れさせて頂くこと。結果として、その人の世界の観え方が少し、豊かになること」の方へ向いています。
「人間が地球上で間借りしている」という観方には、「人間至上主義」との対比から、思い至りました。
この「人間至上主義」という表現は、岩田健太郎先生(医師、神戸大学病院感染症内科)から伺ったものです。
今年4月初めに、凱風館で、内田樹先生と岩田先生の対談を拝聴しました。
(対談内容は、雑誌AERA 2020年4月20日号に収められています。)
世界各地で、HIV、SARS、エボラなどの感染症と対峙してこられた岩田先生。
そのロジックはとても明快で、今回の新型コロナウイルス流行への対処についても、考えうる状況ごとに、示してくださいました。
感染症予防の見地から、ウイルスに対して無謀な接し方をしないために、とても貴重なお話でした。
また、具体的な対処法にも増して、卓見だと感じたのは、「私は人間至上主義です」という立場を明確にされたところです。
完璧な再現はできませんが、「人間の命が助かるのなら、(現実的には難しいけれど)全てのウイルスが死滅すればよいと考えている」という表現をされました。
また、「だから私は、息子と動物園に行って『パンダかわいいね』なんて言う自分は、偽善者だと自覚している」とも仰っていました。
その立場との対比が許されるのであれば、私には「人間が地球上で間借りしている」ように観えています。
そして、地球が何かしら平衡を保とうとする時、そこに間借りしている人間の命が、儚く失われることもある。
それも最終的には、受け入れようと思います。
地球が平衡を保とうとする現象は、ウイルスの発生に限らず、地震、台風なども含めて考えています。
繰り返しになりますが、これらの現象で、私は身近な人の命を失ったわけではありません。
実際に誰かが亡くなれば、悲しみに暮れると思います。
また、生きることを簡単に諦めるわけでもありません。
時に厳しく、時に穏やかな顔を見せる自然の中で、生きることを満喫したいと願っています。
このような自らの世界観にあらためて気づき、来し方を振り返ってみると、
平衡(バランス)とは?を問うため、
バランストレーナー 小関勲先生の「大人も子どもも育つヒモトレ」
逆境を生き延びるため、
アウトドア防災ガイド あんどうりすさんの「アウトドア防災講座」
自然と共に生きた先人の知恵を学ぶため、
和光大学 関根秀樹先生の「火と音をつくる」
そして、身近な自然である、自らの身体を知るため、
高橋透先生の「マニュアルメディスン講習会」
を開いています。
その時々で、出会いと直感に任せてお願いしてきましたが、振り返ってみれば、一本の流れに乗ってきたのだと分かります。
その流れの底にあるのは、「人間にとっての自然とは」「自分にとっての自然とは」という問いです。
その問いを絵空事としてではなく、自分の身体を以って求めていく道として、韓氏意拳と、武術家 光岡英稔先生の兵法武学研究会での学びは、今では欠かせないものになりました。
今後も、この興味の方向性は変わりません。
自分の仕事の軸が、マニュアルメディスンの施術であることも、変わりません。
それも、「症状を無くす」「身体を治す」という方向性ではなく(それらもプロセスや表面上の事柄としては大切ですが)、
「身体が変わること、また身体の観え方が変わることで、世界の観え方が変わる」、その積み重ねで「私たち一人一人の預かった生を全うする」という方へ向かいたく思います。
武術や施術が縁遠く感じる方にも、「世界の観え方が変わる」という点では、解剖学者 養老孟司先生の言葉はヒントに満ちていると思います。
例えば、スタジオジブリ 宮崎駿さんの対談『虫眼とアニ眼』(新潮文庫、2008年)で養老先生は
「自然環境というのは、ものすごいディテールで成り立っていて、いまの人間は、それを完全に無視して生きているということです。」
と仰っています。
この世界の瑞々しいディテールを、ピントを合わせて余さず受け取れる。
そのような身体と感性、観性を磨く一助として、私はマニュアルメディスンを用いたいと思います。
感染症が流行する世界では、もしかすると、「触れる」ことを躊躇う風潮が生まれるかもしれません。
それだけに、「触れる」ことの真価も問われそうです。
差し出し方にも工夫が必要でしょうけれど、これからも、「触れることで、世界の観え方が変わる」ような経験を目指し、研鑽を続けます。