「追っかける」

(ヒモトレフェス2019の補足、のようなもの①)

「追っかける」ように触れる。

このことは、「アクティブタッチ」”active touch”とも表現できます。
(子どもの発達に関わる分野では、この表現が多いです)

「追っかける」の対になる態度として、僕が二つ思い浮かべるのは、

「どうせ、こうなるだろう」
(結果の先読み)

「追いかけさせられる」
(他の誰かが定めた目標などを)

というものです。

そうではなく、内からの衝動、外への必然性があって、「追っかける」。

20190802078

この写真の植物は、命というプログラム(内)をもって、日光や水(外)へ向けて、
伸びていきます。

それを観ていると、「私はなぜ、この働きを勝手にやめてしまうのかな」
という問いが立ちます。

その問いを、思弁的にではなく、体でもって、程よく「ふわっと」知れるのが
ヒモトレだと、僕は思っています。
(時として、この「ふわっと」が曲者ですが、さておき)

発案者の小関勲先生が「ヒモトレという名前は外していい」と言うように、
名前や方法以前の、このような態度や構えを、僕は大切にしたいです。

今回のヒモトレフェスでは、

向かいの人と、指先どうしを合わせて、向かいの人がしゃがむのを「追っかける」。
四つ這いになって、背中に人を乗せ、乗った人が動くのを、背中で「追っかける」。

という経験を、ヒモの有り無しで比べてみました。

ヒモがあると確かに、「追っかける」のが滑らかになるし、
「追っかけてもらう」側も、動きがより自由になります。

そこから、「では、どうすれば…」という、それぞれの工夫が始まれば、
とてもありがたいです。

ちなみに今回、「追いかける」という余所行きの言葉ではなく、
「追っかける」という言葉を選んだのは、
マニュアルメディスンをご指導くださる高橋透先生の影響です。

検査・施術においても、現象を「追っかけていく」態度が求められるのですが、
透先生が山形弁をまじえて「追っかける」という言葉をおっしゃる時、
何とも言えず心地よい、勢いを感じるのです。

以上、今回試みたことと、その背景、そして出典(?)でした。

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